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Annex~別邸~

本ブログは近世ヨーロッパ軍事史を基本的に取り扱っています。 更新はとても稀なのであしからず。

戦史を学ぶ上での戦略理論について

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戦史を学ぶ上での戦略理論について

戦略論の原点(普及版)



この世には少なくない戦略理論が存在し、数限りない理論に対する解説書がある。
クラウゼウィッツの「戦争論」や孫子に対する解説本の数を見ると、如何にこれら戦略理論が人生を賭するに足る価値があるのかと、ため息がでる。

これらは様々な意味を、良くも悪くも含めて、重要である。
特に戦略理論の数々は、人類が過去へと確実に残していかなければならない遺産と言える。
そこには、歴史から、あるいは当人の経験から導き出された、「戦争に対する理解」への道しるべたる光明が煌々と灯されている。
言い換えるなら、戦史を学ぶ上において、これら先達の力を借りると言うことは、もっとも合理的な手段なのである。


しかし、はっきり言って、これら戦略理論は難しすぎる。孫子、クラウゼウィッツ、リデル=ハート、マハンにしろ。
少なくとも、私のような戦争経験もなく、深い理論的思索訓練を受けてもいない一般人がその深淵を理解することは、事実上不可能と断定していい。
もちろん、理解していると宣言している人もいる。だが私が見るところ、そう言った人は一般人ではないか、理解したつもりになっているだけである。

そのため、私などは解説書を読む。前述したように数限りない解説書があるからだ。
もっとも、そういった解説書も玉石混淆で、結局、戦略論を理解するには及ばない。

そんな訳なので、戦史を学ぶ上において戦略理論を用いるのは、意外と敷居が高い。

私のような一般人には、平易で、戦史研究に役立つ、普遍的な戦略論が必要なのだ。

というような願望を抱いて、色々と私自身が読んでいった結果、J.・C・ワイリーの著作がおそらく戦史を学ぶための分析ツールとして普遍的に用いることが出来る「道しるべ」ではないかと思っている。

戦略論の原点(普及版)

この本は、あまり有名ではないかもしれないし、あるいはその界隈では有名なのかもしれない。
残念ながら私には友達があまりいないので分からない。

ともかくも、この本は戦史分析ツールとして、とても素晴らしい。
まず、短い。理論そのものは、あとがきを含めても150ページである。そして、少なくとも、文字面においては、小難しい言葉が多用されていない。
もちろん内容は深く平易ではないが、表面的な理解だけでも戦史分析ツールとして利用できる。

さて、その内容であるが、著者ワイリーは、これまでの相い矛盾する戦略理論をふまえた上での自身の戦略理論(総合戦略理論)を完成させていない。それはいつか実現して欲しいという願望である。
だが、もし実現するとするならば、少なくとも幾つかの条件を満たしていなければならないと言っている。

細かくは著作を読んで欲しいが、なぜ戦史分析ツールとして利用できると私が思うかというと、彼の想定が柔軟で、敢えて幅広い解釈が可能なように、しかも簡潔に書かれているからである。

まず彼は戦略を次のように定義する。

「何かしらの目標を達成するための一つの「行動計画」であり、その目標を達成するために手段が組み合わさったシステムと一体となった、一つの「ねらい」である」

これは簡潔とは言い難い文章であり、私のような一般人には理解し難い。

私自身は表面的に、戦略=(目標と、そのための行動計画。行動計画は「ねらい」見据えた手段の組み合わせ)、と理解した。

そうして彼は、自身の戦略を戦争のための戦略に限定して、統合戦略理論の想定条件を次のように定義した。

1:戦争は必ず起こる。
2:戦争の目的は敵をある程度コントロールすることにある
3:戦争は我々の計画通りに進むことはなく、(戦争のパターンは)予測不可能である。
<4:戦争の結果を究極的に左右するのは、戦場で銃を持った男である(あるいはその潜在力を見せられることである)>

著者は4については、もしかしたら切り捨てられるかもしれないとも述べているが、理論構築者ではなく、理論利用者である私のような一般人が戦史を学ぶ上においては、あまり重要視しなくていいだろう。

面白いことに、この想定は「戦争は政策の継続である」という言葉が、字面通りに受け止めてはいけない、成立する場合もあれば成立しない場合もある、ということを示している。
簡単に言ってしまえば、侵略する側にとっては「戦争は政策の継続である」ことが多いが、侵略される側から見れば、とても「政策の継続」とは言えず、戦後の社会も必ずしも戦前の政策の延長線上にありはしないと言うことである。

例えば、大北方戦争のスウェーデンを考えてみよう。スウェーデンは三正面戦争に巻き込まれた。スウェーデンにとっては悪夢であり、完全にそれまでの政策の崩壊であった。
同じようなことは戦史を見渡せばごまんとある。

しかし、ここで、間違えてはいけないのだが、こういった戦争がまったく予期されていなかったかというと、そういうわけでもないと言うことである。先ほどの例で言えば開戦直後にスウェーデンは素早く動員体制を整えて、敵の領土侵攻を押しとどめようとした。

これは1番目の想定通りに、如何なる防止措置を講じていても戦争は起きてしまうが、やはり1番目の想定通りに平時にも軍備は必要であり、戦争が起こると定期的に自覚していた故に、適切に対処できたとも言える。

このようにして戦争についてワイリーの想定を踏まえた上で分析していくことにより問題点を明らかにして行くことが出来る。
こう言ったわけで、私は分析ツールとして利用できると考えるわけである。

ただ、気をつけなければならないのは、コントロールという言葉と、戦争のパターンという言葉が持つ意味の広範さである。これはかなり幅が広い。
しかし、これも言い換えるなら、幅が広いので様々な戦史理解に適用できるとも言える。
このあたりは難しいところだ。

とはいえ、ワイリーは著作の中で、すべての戦争に共通のパターンのようなものはあるのではないかと推定し、とりあえず「侵略者ー防護者」に単純化したパターンについて解説している。

我々が戦史を分析する上においては、この単純化されたパターンを土台に、現実に会わせて取り扱う戦争における開戦時のパターンを構築するところから始めるべきだろう。

そしてその戦争において取られた戦略については次のポイントで評価する。これは戦略の定義において定められるところの、行動計画の「ねらい」そのものでもある。

1:戦略家が実戦時に目指さなければならない最大の目標は、自分の意図した度合いで敵をコントロールすること。
2:これは、戦争のパターン(形態)を支配することによって達成される。
3:この戦争のパターンの支配は、味方にとっては有利、そして敵にとって不利になるようなところへ「重心」を動かすことによって実現される。

「成功する戦略家というのは、戦争の性質、配置、タイミング、そして「重心」をコントロールし、それによって生まれた戦争の流れを自分の目的のために利用できる人」

上記に注意しつつ、戦争の推移を分析していけば、再び大北方戦争を例に取れば、戦略的に無能とされるカール12世についても、何がいけなかったのか、本当に戦略的に無能であったのか、無能でないとしたら、有能だったのか、などの疑問にも論点を明確化した議論ができるのである。

ということで、戦史を学ぼうとするならば、解析ツールとして、まず真っ先に読んでおくことをおすすめする。

なお、この本には順次戦略と累積戦略という総合理論の下位に位置づけられる戦略理論についても解析しており、これの組み合わせによって、上記の行動計画は構成され、「ねらい」を実現すると言うことも記されている。

大北方戦争を再び例に取れば、06年までのスウェーデン軍はザクセンとポーランドの支配者であるアウグストに対して、その支持基盤(重心)であるポーランドをコントロールするために、アウグスト王の退位を追求した。しかしアウグストの本当の「重心」はザクセン本国にあったため、戦争は長期化した。
この場合、彼のねらいは、少しずれていたといえる。(カール自身も理解していたが)

それでもポーランドにおけるザクセン軍をカールが打ち破り続けため、アウグストは戦争のパターンを支配され続けた。アウグストの不利な立場は累積的に積み上がっていった。そして、世界情勢の変化により、カールが本当の「重心」であるザクセン本国へ、戦争を配置することが出来るようになった瞬間に、一つの戦争はあっけなく終結した。

また、大北方戦争を順次戦略的に見ると、主戦場はデンマーク→バルト海沿岸→ポーランド→ザクセン→ポーランド→ロシアという流れになるが、
累積戦略的に見ると、バルト海沿岸における戦争、ポーランドにおける戦争、ロシアにおける戦争が同時並行に進んでいたとも言える。

このポイントで見ると、カール12世が累積的にポーランドで積み上げた勝利は、アウグストに対しては勝っていたが、ピョートルが同じくバルト海沿岸で累積的に積み上げた勝利とポーランドで累積的に積み上げた勝利には劣っていたことが、07-09年の戦争により明らかとなり、カール12世はポーランドにおけるコントロールを失い、戦争のパターンの支配をピョートル大帝に奪われ敗北した。

などと簡易的にも分析することが可能である。

もちろん、上記の分析は呆れるほど単純で誤解を招く代物であるし、私自身、ろくろく検証していないので、様々な点で非難される余地がある。

しかし、議論の土台として役立つことが分かっていただけるかと思う。
制限戦争や絶対戦争などという曖昧で不完全な区分を用いるよりも余程実際的で、古代から中世、近世、ナポレオン戦争から二回の世界大戦までを同じ方法論で分析できるはずである。

特に近世を例に取るならば、近世の戦争は制限戦争でナポレオン戦争は絶対戦争であるなどという、余りにも単純で誤解に充ちた言説に対して理論的に反論することが出来ると思われる。

(例えば、これなどの「王朝間戦争」に対する意見など、誤解と矛盾に充ちたその最たる例である)

また、その他の戦略理論を読む際にも、この本を先に読んでおけば、少なくとも読む前よりは深く理解できると思う(もちろん、本当に深く理解できるとは私は思わないが)。


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