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Annex~別邸~

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【映画レビュー】第二次ウィーン包囲映画を見ました!

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【映画レビュー】第二次ウィーン包囲映画を見ました!

神聖ローマ 運命の日」第二次ウィーン包囲映画レビュー

ようやく、見ることが出来ました。このブログの当初の目的だった、第二次ウィーン包囲をモチーフとした映画です。
まず第一の感想として、英語圏のレビューほどの酷さではなかったということを書いておきます。ただ恐らく、予算が足りなかったんだろうなと、思いました。
歴史映画好きなら、一応、お勧めできる範囲に収めたかなと。


ということでまずは第二次ウィーン包囲の軍事的な視点からの補足説明をします。
大ざっぱな感想はその後ろにします。

まず映画ではレオポルトがオスマン軍の侵攻に対して、寝耳に水というような状態でマルコの忠告も聞いていないように書かれていますが、これはマルコを際だたせるための演出です。

実際には、きっちりとポーランド=オーストリア同盟を危機に当たって締結しています。これは相互協力条約で、オーストリアはハンガリー方面で、ポーランドはポドーレとモルダヴィア方面でオスマン軍と戦い、オスマン軍に二正面戦争を強いるものでした。

条約の基本は、両軍は連携しつつも別々に戦うことになっていましたが、ウィーンが脅威にさらされた場合はポーランドが、クラクフが脅威にさらされた場合はオーストリアが救援軍を派遣することとされました。

ということで、ポーランド軍は義侠の心で助けにきたわけではありませんでした。

ただし、この同盟や神聖同盟の締結にマルコが教皇の権威を背景としつつ、尽力したことは確かで間違いのないことです。しかしマルコ自身は戦争の三年ほど前から少なくとも皇帝の信頼を勝ち得ており、映画は時間軸を大幅に短縮することにより、マルコの功績をわかりやすくしています。これは史劇の常套手段です(シラーのヴァレンシュタインとかね)。

あと、カラ・ムスタファがソビェスキは老いぼれで死にかけで馬にも乗れないと馬鹿にしていますが、オスマン帝国とポーランドはこの以前に7年間の休戦をしており、それを侮る発言に繋げているのだろうと思います。休戦の切っ掛けとなったズラウノの戦いは、ソビェスキ率いるポーランド軍が野戦陣地に籠もり、引き分けに持ち込んだ戦いだったので、それも含めているのかもしれませんね。

さて、映画ではその後、攻城戦とトゥリンの軍事会議に移ります。
まず、攻城戦ですが、史実のマルコは城外にいました。映画では城外にいたり、城内にいたり、オスマン軍陣営にいたりと、自由自在ですが、まぁありえません。ウィーン防衛軍の死闘は、ドイツ人やオーストリア人なら間違いなくハイライトになりますが、この映画の制作はイタリアとポーランドなので、大幅カット。坑道戦術とその対抗がちょっと描かれたのみでした。ドイツ系の人からしたら大激怒でしょうね。それは至る所にあります。
残念。

そんなこんなで包囲戦は2ヶ月におよび、ウィーン防衛軍は次第に追いつめられていきます。

ちなみに、カラ・ムスタファは、ウィーンを極力無傷で手に入れることを望んでいて、そのために砲兵を攻撃に有効に使わなかったと非難されてます。

さて次に9月3日、トゥリン近郊での軍事会議ですが、映画ではポーランド軍を率いるソビェスキが遅れて登場という演出でしたが実際には、会議に遅れたのではなく、救援軍の集結全体が遅れたという事です。実際、バーデン辺境伯とバイエルン選帝候は遅れて参加できず、会議はロートリンゲン公、ヴァルデック候、ソビェスキの三人を中心として開催されました。この映画だとヴァルデック候を私は認識できませんでした。

なお、合流までのポーランド軍の動きを追うと、当初ルヴフに集結する予定だった主力軍は、ウィーン救援要請を受けて集結地をクラクフに変更、八月中旬に救援軍が集結して出発。九月初旬にドナウ河畔のトゥリンに到着している。当時の行軍速度から考えても、中々の行軍ぶり立ったと思います。とくに主力を防護するべく先発した左翼梯隊がクラクフからモルダヴィアまでの321kmを12日間で踏破したことは誉めるべきでしょう。彼らはその後、ちゃんと主力に合流しているしね。

さて、軍事会議で連合軍総司令官に就任するソビェスキな訳ですが、レオポルトが連合軍に合流するまでということで就任しています。映画の通り、その席上でウィーン救援作戦がソビェスキ主導で策定されます。
ソビェスキはあらかじめ、ロートリンゲン公からウィーン周辺の地図を提供されており、クラクフからの行軍中に右翼から、山中を越えてオスマン軍を急襲する決意を固めていたそうです。

決戦に対しては、オーストリア側から慎重意見が出されましたが、ソビェスキの主張が通りました。ただ、当初計画では、もっとも行軍の難しく、片翼包囲を実施する右翼はポーランド軍のままでしたが、次に行軍が難しい中央は、地の利があるオーストリア軍、行軍が簡単な左翼がヴァルデック率いるドイツ諸邦軍でした。

これに、オーストリア側が反対意見を述べ、右翼の次に名誉があり、加えてウィーンに最も素早く接近して、首都に対する直接的支援が可能な左翼を受け持つことを主張したと言われています。
ソビェスキはオスマン軍にとって、彼らの指揮官がいる中央が、オスマンの名誉ある陣であるからとヴァルデック候に述べ、彼も中央を占めることを了承したそうです。
なお、この戦闘序列は9月8日ごろの二回目の会議で最終決定されています。

さて、こうして進軍が始まりますが、映画ではウィーン城壁からポーランド軍の旗を見て援軍到着にわき返るシーンが、その前後に挟まれています。これは脚色です。

現実は、カーレンベルクの頂のどこかから、9月7日、先発していた救援軍の一部隊が狼煙をあげて救援が近いことを知らせています。

行軍は9月10日に始まります。映画で描かれたとおり、特にポーランド軍の行軍は困難を極めました。映画などではソビェスキは全知全能で描かれますが、実際では、事前にロートリンゲン公から提供されていた地図には存在しなかった丘陵が、右翼前方にさらに控えており、想像以上の苦労をしました。

おまけにオスマン軍左翼にはタタール軍が控えており、この最中に激しい妨害が加えられていれば、作戦は失敗したと言われています。
しかしタタール軍の戦意は、映画にも描かれていたように低く、ソビェスキは助かりました。

救援軍接近に気が付いたカラ・ムスタファでしたが、ドナウ川沿いに進むオーストリア軍と中央を進むドイツ諸邦軍に対して備えるのみで、しかもウィーン包囲も継続するという二兎を追う態勢でした。この辺は映画にもチョイと描かれていましたね。

9月12日、救援軍中央と左翼は攻撃発起位置につきました。決戦の日です。早朝にソビェスキ、ロートリンゲン公、ヴァルデック候ら指揮官同席の礼拝が戦いで焼け落ちた山中の教会で開催されます。取り仕切ったのはマルコです。映画にも描かれています。もちろん、あの杖は嘘ですが。

映画での戦いは呆気ないです。オーストリア軍とドイツ諸邦軍が前進してオスマン軍と戦うが、ポーランド軍は現れない。次第にオーストリア軍とドイツ諸邦軍が劣勢になる。そこに山頂にあらわれるソビェスキとポーランド軍。咆哮する大砲。森から現れ突撃するフサリア。タタールは戦わずして逃げて、崩壊するオスマン軍と描かれていきます。

ちょっとヒドいですね。全部ヒドいので、一々解説しません。

戦いはまず救援軍左翼の前進によって黎明時から始まります。午前10時ごろまでの激戦の末、とりあえず前進のための地歩を得ます。しかしその後も、オスマン軍の主力はこちらを指向して、逆襲と反撃が繰り返されます。

中央は錯綜した地形の中で、散開戦が展開され、これも激戦。しかしオスマン軍の兵力劣勢が決め手となり、前進に成功、正午頃までに平地に進出する地歩を得ます。

こうしてドアの軸を固めた救援軍はポーランド軍による片翼包囲を待ちわびますが、前述の地図の不備で、彼らの進出は遅れています。最右翼ではタタール軍が散発的に攻撃を加えてきましたが、ヘトマン・ヤヴロノフスキがこれを撃退します。タタールはこの戦いで総じてやる気がありませんでした。ただ映画に描かれたほど、あからさまに命令無視から敵前逃亡とまではやりませんでしたが。

午後1時から午後2時にかけてポーランド軍は、山頂の砲兵隊の支援を受けて、攻勢発起位置につきます。ようやくポーランド軍を視認できた救援軍中央では、歓声が上がります。しかし、ここから突撃に適した平地まではまだ遠い。歩兵と騎兵が入り交じる戦闘が繰り返され、騎兵突撃のための道を切り開きます。

カラ・ムスタファも自軍左翼に迫る危機に気が付き、右翼主力を移動させていきます。結局、ポーランド軍が開けた地形に到着したのは午後4時、突撃が開始されたのは午後6時前と言われています。その間にロートリンゲン公も、戦力が引き抜かれて弱体化したオスマン軍右翼に対して攻勢に出て、オスマン軍を徐々に追いつめます。

さて、映画ではソビェスキの隣にかわいらしい少年がいます。映画ではほとんど紹介がありませんが、彼の次男アレキサンデルです。当時、まだ7歳くらいでしたが、彼も戦いに参加しました。

さて、日が落ちる直前の午後6時前、突撃が始まります。速度はゆっくりだったといいます。依然として前方には農園などがあるからです。しかし一度、視界が開ければ、無敵です。ソビェスキはアレキサンデルのフサリア隊に敵中央に向けての突撃を命令し、彼はこれを甚大な損害を出しながら成功させます。

オスマン軍は左翼方面からの、この圧力に耐えきれず、右翼も劣勢にあったことから、ついに前線崩壊からの潰走に移ります。
カラ・ムスタファは中央で頑張ろうとしましたが、軍旗を救い出すのが精一杯で、討ち死にを考えますが、部下に説得されて逃げたと言います。

結局、ソビェスキの右翼からの急襲、そして包囲殲滅という構想は地形障害により失敗に終わり、オスマン軍の大多数は退却に成功しました。しかし戦いは救援軍の勝利に終わり、ウィーンは救われました。

簡単に言えば、映画はオーストリア軍とドイツ諸邦軍をほとんど無視してますね。防衛戦でも感じましたが、共同製作にオーストリアとドイツが入っていないので、こうなっちゃったんでしょう。
ポーランドとオーストリアとドイツの共同製作なら、きっと違ったはずです。

ちなみに飯塚信雄の「バロックの騎士―プリンツ・オイゲンの冒険」や、それを種本にした久保田正志のハプスブルク家かく戦えり―ヨーロッパ軍事史の一断面を読むと、ドイツ語文献を元にして書いてあるので、今度はポーランド軍を馬鹿にしまくってて笑えます。みなさん、自分の国が一番なんです。

戦いが終わった後は映画に描かれませんが、レオポルトを待たずにウィーンに入城したソビェスキにレオポルトが怒ったり、ゆっくり勝利を味わうポーランド軍の振る舞いにカチンとくるロートリンゲン公とか、レオポルトの接待が必要だからと前進を取りやめたオーストリア軍に、ソビェスキが文句を言ったり、ドイツ諸邦軍の一部が勝手に帰国したりともうバラバラとなります。この辺ほしかったな。

最終的に二回に渡るパラカニィの戦いで救援軍はオスマン軍の再集結の試みを粉砕して勝利を決定づけます。こっちの方も重要な戦いなんですけどね。
一回目は、単独進出しすぎたポーランド軍が奇襲を食らって、ソビェスキ戦死の危機、潰走。二回目は後続と合流して、今度は連合軍がウィーンで失敗した片翼包囲に成功してオスマン軍を殲滅と、盛りだくさん。おまけに本によって勝利はロートリンゲン公のお陰だとするものと、ソビェスキの見事な指揮によるものだと真っ二つ。笑えます。

やっぱり、ポーランド、ドイツ、オーストリアの共同製作は無理ですね。

閑話休題。あとは大ざっぱな感想を。

1:主人公はマルコひとり
 最初に、ウィーンを救ったのは二人の男であるというようなことを映画では述べてますし、宣伝もソビェスキをもう一人の主人公としていますが、間違いなく、ソビェスキは主人公ではありません。
 それを期待していくと、不満を抱くでしょうね。マルコとオリジナルキャラのエピソードが長すぎたのでしょう。あと第一シークエンスと第二シークエンスの配分をミスったような気がします。

2:カラ・ムスタファは格好いい
 意外や意外、ムスタファがけっこう格好良く描かれています。勝手に作ったマルコとのエピソードは実に陳腐でご都合主義ですが、許容範囲だと思いました。

3:マルコはキリスト級の魔法使い
 これはちょっとねぇ。いくら聖人になったからって、捏造しすぎじゃないですかね。彼は確かに寝たきりの尼僧に奇跡を施したことで知られています。その奇跡で有名になり、レオポルトに頼られたのも確かです。でも、あんなあからさまな奇跡で宮中の信頼を勝ち取ったわけではないです。はい。
 あと包囲中のウィーンにいたり、救援軍にいたり、オスマン軍陣中にいたり、本当に同時に2ヶ所の場所に存在できるようです。おいおい。

4:CGはしょぼく、画面に壮大さがない
 お金の大切さを知りました。ハリウッドって何だかんだ言ってもお金があるんですね。ウィーンのお城がとても小さく、大軍がウィーンというハプスブルクの心臓を攻めているという壮大さがまるで感じられませんでした。オリジナルキャラがイスラムへの改宗を勧めるシーンとか、どこの砦だよという感じでした。大砲とかも駐退器が付いているのか、という感じの出来でした。
 ただし、カーレンベルクの行軍は別。わずかなシーンでしたが、確かに頑張って画面を作っていました。

5:オイゲン公
 パンフレットにあったので期待してましたが、ビックリな登場回数でした。まぁ所詮は義勇兵ですからね。

 なんか英語レビューと同じ感じになってきましたので、大ざっぱな感想はここで終わりましょう。

とりあえず、取り留めもなく。以上。みなさん、見てくださいね!


「バロックの騎士―プリンツ・オイゲンの冒険」


ハプスブルク家かく戦えり―ヨーロッパ軍事史の一断面








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