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Annex~別邸~

本ブログは近世ヨーロッパ軍事史を基本的に取り扱っています。 更新はとても稀なのであしからず。

大北方戦争の誤解「スウェーデンとロシアの海軍力」

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大北方戦争の誤解「スウェーデンとロシアの海軍力」

ロシアの海軍がピョートル大帝によって創設されたことは良く知られている。
アゾフの艦隊とバルト海艦隊である。
特にバルト海艦隊は、その後もロシア海軍の中核となったため、とりわけ有名である。
(というよりも日露戦争の日本海海戦で東郷平八郎が殲滅したことのほうが有名かもしれないが)

今回はこのバルト海艦隊の創設期の話をしたい。



バルト海艦隊は、スウェーデン海軍に対抗するために1703年に創設された。

当時のスウェーデン海軍は戦列艦42隻、フリゲート12隻を誇り、総砲門数は2700余、将兵13000に及んでいた。
これはデンマーク海軍よりも少なくとも数の上では勝っている陣容であり、大きな脅威と見なされた。

ピョートル大帝はこの強大なるスウェーデン海軍に、まったくゼロの状態から挑み、遂には奇跡的に勝利した。
とりわけ、ハンゲの海戦と呼ばれる海戦は、その象徴とも言える勝利として知られている。
ハンゲの海戦 http://ja.wikipedia.org/wiki/ハンゲの海戦

・・・・・・というのが、いわゆる良く知られた話であり、それは一面においては正しい。
しかし、現実の様相は結構ちがう。

確かにバルト海艦隊はピョートルがゼロから創設した。
最初の船は1703年8月に進水し、04年の終わりまでにフリゲート艦8隻に数隻のガレー船が生み出された。
そう、ガレー船である。核心はガレー船なのである。

スウェーデン海軍はこの種類の船舶を殆ど所有していなかった。
スウェーデン海軍もその創成期においては大規模な喫水の浅い小型のガレー船からなる艦隊を保有して、フィンランド沿岸の複雑な多島海で水陸両用の戦争を指向した。
スウェーデン~フィンランド沿岸の海域では大型艦の喫水は深すぎたし、大きすぎた。
この海域を主戦場とするならば小型のガレー船こそが、もっとも適していたのである。
こうしてガレー船を有した1590年代、スウェーデン海軍はモスクワ大公国と戦い、そして勝利した。

だがその後は? その後の敵はデンマークだった。デンマークとの戦いは、バルト海の真ん中であり、ガレー船の出番はなかった。

しかもスウェーデンの乏しい資源は、外洋型艦隊と沿岸型艦隊の双方を保持するほどの余裕はなかった。

結果としてスウェーデン海軍からガレー船は姿を消した。
しかしその甲斐あって、スウェーデン海軍の戦列艦はその数を順調に増やした。
途中、デンマーク海軍に完膚なきまでに敗北しながらも、戦列艦同士の戦闘における勝利を目指し、彼らは見事に大海軍を復活させる。
そしてそれは遂に、大北方戦争開戦劈頭、奇襲的な戦列艦の運用で、イギリス・オランダ艦隊と合流してデンマーク艦隊を完全に封じ込める活躍を見せるに至る。

しかし代償は大きかった。
開戦直後にデンマークは対スウェーデン同盟から脱落するが、依然として隙があれば再び戦争に復帰する構えを解いていなかったため、海軍は警戒を解くことが出来なかった。そして国力は、大陸で活動する陸軍を支援するだけで精一杯であった。(陸軍ですら現地で自給自足であったが)

かくて1710年、ロシア海軍は100隻を越えるガレー船を保有していたのに対し、スウェーデン海軍は5隻足らずであったのである。

スウェーデン海軍もガレー船を増やすべく努力を続けたが、デンマークに対抗しなければドイツ方面の陸軍が今度は壊滅するというジリ貧。
そんな状態でガレー船の数は殆ど拡大させられなかった。

はたしてハンゲの海戦は1714年であるが、この海戦でもガレー船約100隻の大軍が、複雑なフィンランド沿岸海域に閉じ込められた帆船1隻とそれを支援するなけなしのガレー船6隻に襲いかかったわけである。

ロシア海軍が負けるはずがなかった。その証拠が下の絵である。まさしく袋叩きである。海上決戦? 何をかいわんや。



確かに数だけで見ればスウェーデン海軍は強大だった。だがそれは対デンマークのみを想定した外洋型の海軍だった。
対してロシア海軍は、ゼロから立ち上げられたとは言え、完全にフィンランド沿岸での戦闘を主眼において最初から専門化されていた。
加えてスウェーデンの主力である戦列艦は遙か西にあってデンマーク海軍とにらみ合って、有効な妨害策を打てなかった。

資源の乏しいスウェーデンが二正面戦争をした段階で、しかもそれが必要とされる戦備が全く異なる二正面であったという時点で、もうスウェーデンの敗北は決定的であったのである。

ピョートルの指導力はほめたたえるべきである。

しかし、この話における成功の要因が、失敗の要因がどこにあったのか、それをしっかりと理解しておかなければならない。

バルト海艦隊と名付けられた彼らが日本海でどんなめにあったのかを思い出すべきだし、哀れなスウェーデン海軍は240年後に破滅した極東の軍隊のはしりのように私には見える。


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